muranakaromanのブログ

ドラマー村中♪ろまん♪

2020-08-01から1ヶ月間の記事一覧

脇道41

1997年33歳の頃。 大阪から1時間ちょっとで行けるセントラルサーキットに場所を移しての開幕戦。 同じチームから4人参戦という賑やかなピット。 フリー走行と予選は駆動方式別で混走となったので、C2クラスとSFクラスが走っている間はワタクシ一人(^_^;)もち…

脇道40

1997年33歳の頃。 1993年に街乗りのノーマルハチロクで初めて中山サーキットを走り、すっかり魅了されてしまったワタクシ。N1仕様のレースカーのハチロクを手に入れ、1994年からレース形式の走行会に参加する事3年…入賞(6位以内)が2回、最高位は5位。 そして…

脇道39

1996年33歳の頃。 散々な結果しか残せていないこの年もいよいよ最終戦。翌年から兵庫県のセントラルサーキットに場所を移して開催される事になっていたので、馴染みの深い中山サーキットでのレースも、一応この日で最後。 この日にギリギリ間に合った(塗装は…

脇道38

1996年33歳の頃。 この年のレースは… 第一戦ビリ 第二戦ガソリンタンクのトラブルでリタイヤ 第三戦レース中にクラッシュ、リタイヤ 第四戦レースカーのボディー交換が間に合わず不参加 …次の第五戦、つまりこの年の最終戦が正念場であった。 レースカーの準…

脇道37

※お断り※ご好評いただいている「脇道」シリーズですが「34」が抜けていました。今から修正するとややこしくなるので、このままいきます(笑) 1996年32~33歳の頃。 前のレースでクラッシュしたハチロクのレースカー、通称「青ハチ」を復活させるべく「銀ハチ…

脇道36

1996年32歳の頃。 レース中にハチロクをクラッシュさせてしまったワタクシ。 替えのボディーをようやく手に入れ、いざパーツ交換! 自分なりに「2台並べて、エンジンを載せ替え、足回りを付け替え、ガソリンタンクを交換したら、あとは塗装だけ」ぐらいに考…

脇道35

ここまでのあらすじ ・毎週スタジオには入るがライブはしない「火曜日バンド」を続けつつ、レースに目覚める。・ライセンスもとりマシンも手に入れ準備万端だったが、突然のルール変更に公式レースを諦めてレース形式の走行会に出る。・そこそこの成績のまま…

脇道33

1996年32歳の頃。 レース形式の走行会に参加して3年目の9月。 レースがスタートしてまだ1分ほど。ワタクシはコースの端にクルマを置き、ガードレールの外に居た。側面が大きくヘコみ走行不能になった自分のハチロクを眺めながら。 第三戦のこの日は予選も好…

脇道32

1996年32歳の頃。 前回、第二戦はガソリン漏れのトラブルで「レース仲間」のありがたい手助けがあったにも関わらずリタイヤとなってしまったワタクシ。 それから二ヶ月後、9月に行われた第三戦にはガソリンタンクそのものを「安全タンク」と呼ばれるレース専…

脇道31

1996年32歳の頃。 レース形式の走行会に連続参戦して3年目、第二戦の日は7月なのにとても暑かった。 朝のフリー走行終了時に見つかった「ガソリン漏れ」のトラブル対処に手間取り、クルマの下に潜り込んだまま汗ダクのワタクシ。このままでは予選に間に合わ…

脇道30

1996年32歳の頃。 「レース前の車検」がなくなり『一目でわかる違反』以外は何でもアリになってしまったこの年の走行会。 第一戦で「トラブルでもないのにビリ」と言う屈辱から二ヶ月後の7月に行われた第二戦。 前回よりは少しだけ多い13台が参加していたハ…

脇道29

1996年32歳の頃。 レース形式のハイレベル走行会も参戦3年目。この年から「実質、スリックタイヤ以外は何でもアリ」のルールになってしまった(>_<) だからと言って、すぐにエンジンをチューンアップするお金も無いワタクシは去年までと同じ「ノーマルエンジ…

脇道28

1995年31歳〜32歳の頃。 ずっと悩まされていた頭痛もすっかりよくなり、無職のまま迎えた6月のRSCC第三戦。 前回参戦のチームメイトはなぜか全員出場を見送り、また1人ぼっちのワタクシであった。 震災の影響からか、出場台数は相変わらず少なく12台。しかし…

脇道27

1995年31歳の頃。 阪神淡路大震災があったこの年、4月に行われたRSCC第二戦は同じチームから出場した4人中、ワタクシ1人が「決勝で、予選より順位を落とす」と言う失態だった。 この第二戦が行われた4月より少し前から、実はワタクシの体に変化があった。「…

ライブでした♪

2020年8月16日(日)…今日の話。 大阪天満ロートラックスでの「サマーロマン(THE)フェスティバル」終了しました。 色々対策を講じてご来場頂いた皆様、配信で観て頂いた皆様、なによりこのご時世でイベントを主催してくださった方々スタッフの方々、本当にあり…

脇道26

1995年31歳の頃。 震災の影響で第一戦が中止となり、実質の開幕戦となった第二戦。場所はいつもの岡山県中山サーキット。 RSCCはこの年も「基本的にN1車両でエンジンはノーマル、スリックタイヤは禁止、それ以外は参加者の良識に任せる」って感じのルール。 …

脇道25

1995年31歳の頃。 1月17日の早朝に起こった大地震。その後の混乱は皆さんご存知の通り。復興までには長い時間と大勢の人の力が費やされた。 ワタクシが参戦していたRSCCの主催会社は神戸にあった。当然レースどころでは無い。2月に予定されていた第一戦は開…

脇道24

1994年31歳の頃。 この年から意気揚々と参戦したRSCCというレース形式の走行会も最終戦。前回はレースカーが修理中の為、ナンバー付き街乗りレビンで参加で色々とストレスを感じながらのレースだったが、今回はレースカーも直り調子もよかった。 なのに…それ…

脇道23

1994年、火曜日バンドは続けていたものの、頭の中はすっかりレースのことばかり考えていた31歳の頃。 ハチロクレビンを買って山道を走り回り、サーキットにも行くようになり、ひょんな事からN1仕様のハチロクトレノを譲ってもらい、この年からRSCCと言うレー…

脇道22

1994年30歳の頃。 前々回のブログで「第五戦は違う事が起きる」と書いたが…「第四戦」に起こった事だった(^_^;) 第一戦はレースキャンセルだったが、その後の第二戦、第三戦と「出場台数の真ん中ぐらい」で予選・決勝とも終わっていたワタクシ。 そしてN1マ…

お盆の法要

2020年56歳の頃…ってか今日の話。 今日は朝から母のお盆法要だった。 兄の自宅に行き、このブログの話(笑)とかも交えて雑談していると、昔「アキヒサwithフライング」で一時期ワタクシと一緒にバンドをしていて、その後「山根康広withBEE FREE」で兄とバンド…

脇道21

1994年30歳の頃。 「記念すべきN1初レース」だったはずが路面凍結の為レースキャンセルという事態になった第一戦。 そしてグリップしにくい路面で「そこそこええタイム」を出した無名の新人に対しての周りの風当たりはキツくなった。 2ヶ月後の第二戦、朝か…

脇道20

1994年30歳の頃の話。 「脇道」ここまでのあらすじ ・ライブが無いのでハチロクを買う・夜な夜な山道を走り回る・ほぼノーマルでサーキット走行会に出る・コテンパンにやられる・あちこちの走行会で練習する・ひょんな事がらN1仕様のハチロクレースカーを譲…

脇道19

1994年30歳の頃。 ライブ活動が全く無いのをいい事(?)に、四輪レースに挑戦しようとしたワタクシ。 せっかくライセンスも取って準備万端だったのにJAF様のいきなりのルール変更によって公式戦ではなく、走行会(いわゆる草レース)に参戦する事にした。 草…

脇道18

※前回のブログのタイトルが「脇道16」で、前々回と同じでしたので「脇道17」に変更しました…なので今回は「18」です(^_^;) 1993年30歳の頃。 翌年から参戦しようとしていたJAF公式レースの「ウエストジャパンツーリングカーレース」が参加台数が少なそうだと…

脇道17

1993年30歳の頃。 知り合いからN1レースカーを譲り受け、翌年からの公式レース参戦をもくろみライセンスを取り装備も揃えたワタクシ。 94年の第一戦への出場申し込みをすべく、ショップ「P」へ出向いたところ、マシンを譲ってくれたKさんが… 「ロマンくん、…

脇道16

1993年30歳の頃。 「場違い極まりないこっぱずかしさ」を耐え忍びジムカーナの『完走証明』をとりあえず手にしたワタクシ。すでに申し込んでおいたA級ライセンス講習会に参加する事に(←ジムカーナで完走出来なかったらどうするつもりだったんだ?^_^;) 場所…