1994年30歳の頃。
前々回のブログで「第五戦は違う事が起きる」と書いたが…「第四戦」に起こった事だった(^_^;)
第一戦はレースキャンセルだったが、その後の第二戦、第三戦と「出場台数の真ん中ぐらい」で予選・決勝とも終わっていたワタクシ。
そしてN1マシンにも慣れてきた第四戦。
季節は真夏。
場所はいつもの中山サーキット。
この日はフリー走行から調子良く、体感的に「自己ベストタイムを上回っている走り」が出来ている気がしていた。
この調子では結構いい成績が残せそうだ。
予選も頑張ってなるべく前のグリッドからスタートしよう!
…そんな気合いが入り過ぎたワタクシ。
フリー走行がそろそろ終わろうかと言う時間帯に「やらかして」しまった。
路面温度の高さにタイヤがタレてきた事に気付かずに、ハイポイントコーナー通称「上のへの字」と呼ばれる高速コーナーでコースアウトし、そのまま壁に激突。
クルマの左前部分に大きなダメージを受けた(ドライバーは無事だったが精神的にダメージは受けた^_^;)
その日はそのままリタイア。
予選さえ走れずに帰ってきた。
ショップ「P」でクルマをみてもらうと「なんとかボンネットとかのパネル交換とバンパー交換でいけるんちゃう?」との事。
急いで部品を探し交換して塗装までしてもらう事にしたが、なんせ製造打ち切りから7年も経っているクルマ。
しかもサーキット・公道を問わず「攻める人」が好んで乗る車種なだけになかなか中古パーツが集まらない。
二ヶ月後の第五戦には間に合いそうになかった。
そして迎えた第五戦、ワタクシは「待ち乗りでもハチロクを持っている強み」で白黒のレビンで出場した。
早めにサーキットに着いて、運転席以外は全て取り外し、要らない物は全部おろしたが、それでもレースカーに比べて重い。
しかもロールバーが入っていない為ボディーの剛性が悪く、セミスリックを履いてサーキット走行すると少しボディーが「ヨレる」感じがした。
しかもこのクルマが潰れると翌日からいきなり通勤に困る為に「なるべく当てないレース運び」が必要となる(^_^;)
…結果、予想していたよりはマシなタイムで予選は24台中14位。
決勝では「敵」の幅寄せにビビり17位に終わった。
しかしタイヤは違うとは言え一年前はぶっちぎりで最下位だったクルマでこの順位。
ドライバーとしても、そこそこ速くなっていたのに気付いた回であった。
そしてレースカーが戻ってきた第六戦(この年の最終戦)は色々と記憶に残るレースになるのである。
続く☆