1995年31歳の頃。
阪神淡路大震災があったこの年、4月に行われたRSCC第二戦は同じチームから出場した4人中、ワタクシ1人が「決勝で、予選より順位を落とす」と言う失態だった。
この第二戦が行われた4月より少し前から、実はワタクシの体に変化があった。
「頭が痛い」のである。
いや、悩み事が多いとか色々決めないといけない事が多いとかの慣用句ではなく、本物の頭痛に悩まされていた。
具体的には「頭の左半分が猛烈に痛くなり、しばらく続くが頭痛薬を飲んでも治らない」と言う症状。
レース当日は症状が出なかったものの、酷い日には立ってられない…どころか「体をまっすぐにして座ってさえいられない」ぐらい痛かった。
色々対策を考えて、ようやく見つけ出したのが「痛い方の左側を下にして横になっていると痛みがマシになる」と言う対処法。
家で食事をしている時でさえ、頭が痛くなると中断して横になったりしていた。
火曜日バンドの練習の時には痛くならなかったので週一回のスタジオは続けていたが、こんな状態では社会生活もままならない。
もちろん医者にも診てもらったが「原因がわからない」と。
あちこちの病院で診てもらっても結果は同じ。
最終的にたらい回しに…いや『紹介してもらった』阪大病院(大阪大学附属病院)でもイマイチ原因が掴めないので、当時まだ珍しかったMRIで頭部を撮影しましょうと言う事になった。
当時、阪大病院でさえMRIの撮影機器は無く『撮影センター』みたいな別の機関へ出向いた覚えがある。
時間もお金も掛けて、撮影してもらった「輪切り写真」をもらい、改めて阪大病院に見せに行く。
この頃には「たぶんアタマに腫瘍とかが出来てんねやろうなぁ…あと何年生きられるんかなぁ」とか弱気になっていたワタクシ。
阪大病院の脳外科の先生に数枚のMRI画像を見せると…
「いやぁ…綺麗な脳ミソですねぇ!」
そこ褒められても嬉しくないし(^_^;)
「…で、どうなんですか?」
恐る恐るたずねると
「全く異常は見られません!」と。
「じゃあ、なんでこんなに頭が痛いんですか?!」
「ストレスでしょう」
「え?」
それから「脳外科」じゃない所へ回され、その頃の生活を事細かに説明したところ…
「やっぱり仕事でしょうね。仕事を辞めてください」
「いや、仕事辞めると収入が無くなって困ります」
「でも現時点で仕事行けないぐらいなんでしょ?だから辞めて、頭痛が治ったら違う職場に変わってください」
医者は簡単に言いやがる!…と帰ってきたものの、やはり頭痛はおきる。
特に仕事でストレスを感じている自覚はなかったが、仕方ないので仕事を辞めた。
次の日から2020年の今日まで、同じような頭痛になる事は一度もなかった。
…お医者さんってスゲー!!!
どうりでレースの日やバンドのスタジオの時には頭痛がしなかった訳だ♪
なので1995年の6月に行われたRSCC第三戦には元気に出場しました…無職だったけど(笑)
続く☆