muranakaromanのブログ

ドラマー村中♪ろまん♪

2020-06-01から1ヶ月間の記事一覧

一目惚れ?

1990年26歳の頃。 ピアノの修理・調律の弟子入り中だったワタクシも、ようやく仕事を任されるようになり、収入もできたし、週に一度は休みもできた。 火曜日バンドを組み再びドラムを叩きだしたワタクシ、たまの休みの日にドラムの「仕事」が入る事があった…

リハビリ期間

1989年25歳の頃。 しばらくドラムを叩いていなかったワタクシが、バンドを組んでスタジオに入るようになってすぐ。 1年半もスティックさえ握っていなかったら全然思うように叩けない。 仲間(火曜日バンドのメンバー)に言うと「そうでもないやん、ちゃんと…

忘れてた訳ではなく

前に書いた「質問の答え」の中に入れなかったものが一つあった。 それは「最初のライブは書いてありますが、ライブハウスに最初に出たのはどのバンドでどこのライブハウスですか?」というご質問。 これはちょっと説明が長くなるので他の質問とは別にさせて…

原点回帰!

1989年25歳の頃。 「友達同士で集まって楽器演奏!」と言う中高生のような事を25にもなって再び始めたワタクシ。 このバンドは、今までのそれとは違った点がいくつかあった。 ・オリジナルは作らない ・カバーするアーティストを固定しない ・カバー希望曲は…

再始動!

1989年25歳の頃。 ピアノ調律師さんに弟子入りして、調律や修理を勉強する事1年半。 「虫」が騒ぎ出した。 そう、一度バンド活動や音楽活動を辞めた人なら誰しもかかる、あの病気だ。 「あぁドラム叩きたい!!!」 当時、仲間がワタクシの家に集まりマージ…

質問の回答その1

さて、前回のブログで一旦ドラムから離れたワタクシ。 ここから一年半はスティックさえ持たない日々が続くので、その間(どの間だ?)に今までTwitter等で頂いた質問からいくつかお答えします。 ◆高校一年生その1のレギュラーグリップの「ある人」とは誰です…

バンドマン時代その7

1987年24歳の頃。 ここまでの雑なあらすじ。 高校生になりドラムを始める。 ロックンロールを叩く。 ハードロックを叩く。 プログレを叩く。 菅沼孝三氏の弟子になる。 拠点を東京に移す為に掛け持ちしていたバンドを辞める。 東京行きがポシャる。 フライン…

バンドマン時代その6

1987年24歳の頃。 夕方から池田市のオールディズの店、深夜1時半から朝5時まで梅田で歌伴(お客さんが歌う伴奏ね)と「バンドする暇も無い」毎日を送っていたワタクシ。 その後、オールディズにすっかり飽きて(笑)池田の店を辞め、梅田の歌伴の店を転々と(^_…

バンドマン時代その5

1986年23歳の頃。 大阪池田市のオールディズの店にも馴染んできたワタクシ。 日曜日にはお店主催のソフトボール大会をしたり、神戸ケントスの「日曜日バンド」のトラに行ったりして、それなりに楽しい毎日を送っていた。 (この頃のオールディズのお店は基本…

バンドマン時代その4

1986年23歳の頃。 ミナミでの自由奔放なバンドマン生活から一転、オールデイズの店は色々と堅苦しかった。 まず、ステージに上がる時は揃いの衣装を着る。 デビュー当時のシャネ◯ズみたいなジャケットでドラムを叩く。 …暑いのなんの(^_^;) そして一日5回ス…

バンドマン時代その3

相変わらず23歳の頃(1986年)の話。 パニックと言うオリジナルバンドで一緒だったシンジさんに誘われ、夜のミナミでバンドマンを始めたワタクシ。 ベースのコジマさんのありがたい特訓や明け方のセッションが楽しくてずっと働かせてもらいたかったが…そんな自…

バンドマン時代その2

ミナミのお店でドラムを叩きだしたバンドマンのワタクシ、この頃(1986年位?)23歳。 ギターはシンジさんベースはコジマさん、共に28歳ぐらいだったと思う。 お客さんのリクエストで、色んな歌の伴奏をしていたが「客層」なのか演歌は少なかった。 この店で…

バンドマン時代その1

この頃…23歳ぐらいだから今から33〜4年前(←間違っていたので訂正しました^_^;)、1986年ぐらいか…バンドが無くなりヒマになったワタクシ。 ※このブログでいつ頃の話かわかりにくい所が多いようなので「何年頃の話か」を入れていきます。今まで公開分も、入れ…

さよならマスター!

1986年23歳の頃。 アキヒサwithフライング2も解散となり、バンドが無くなったワタクシ。 そんなドラマーのところへタイミングよく電話をかけてきた「元パニック」のシンジさん。 シ「暁生、元気か?今なにしてんねん」 ワ「シンジさんと電話してます(笑)」 …

フライング2解散!

1986年23歳の頃。 セリカソロライブのバックを務めたからと言って、急にお客さんが増える訳でもなかったが、なんとか地道にライブを続けていた「アキヒサwithフライング2」 そのうち、またセリカさんがソロライブをすると言う事で、フライング2のメンバーは…

フライング2とセリカソロ

1985年22歳の頃。 「伝説のマネージャー」ノウミさんに集められたカタチの「アキヒサwithフライング2」は順調にライブをしたり、デモテープを録音したりしていた。 そんなある日、戸田さんから相談を受ける。 「セリカwithDOGが解散して一人になったセリカ…

アイランド解散後

1985年22歳の頃。 エツコ&フライングアイランド解散後、所属バンドが無くなってしまったワタクシ。 そこへ「関西伝説のマネージャー」ノウミさんから電話がかかってくる。 このノウミさん「のーみのオッサン」として有名な人。 桑名ファミリーとも親しく、…

アイランド時代 その1

1985年22歳の頃。 掛け持ちしていた他のバンドを全て辞め、バンド全員で東京に移り住む事にした「エツコ&フライングアイランド」 関西拠点の最終ライブツアーに向けて、スタジオ練習を繰り返していた。 ある日練習終わりのミーティングで、リーダーでヴォー…

掛け持ち時代最終回

ダラダラと…いや、長々と続いてきた掛け持ち時代編も最終回。 1985年22歳の頃。 アキヒサwithフライングの二度目の関東ツアーから戻ったワタクシ。 しばらくは掛け持ちしていた全てのバンドの活動を頑張っていたのだが、その多忙な毎日に終止符を打つ時がく…

掛け持ち時代その18

1985年22歳の頃。 アキヒサwithフライング二度目の関東ツアー。 前回の東京公演の経験を全く活かせず、とにかくよくキレていた(^_^;) 初日に道を間違えてスタッフのバイク乗りヒラタがキレた話は書いたが、他にも色々。 歌舞伎町の「屋台の天丼屋さん」に入…

掛け持ち時代その17

1985年22歳の頃。 アキヒサwithフライング二度目の東京遠征も三日目、いよいよ新宿最終日。 入り時間前にちょいと東京観光。 小川くんと二人で池袋に行って、サンシャインビルを見上げたり水族館で雑魚を見下げたり(←言い方!^_^;)しつつ、さぁヘッドパワー3…

掛け持ち時代その16

「いつもいい所で終わるの、どうにかなりませんか?!気になって眠れません!!」等のお叱りを受けつつ、一向に反省の様子を見せないこのブログですが、よろしくお願いします(何) 1985年22歳の頃。 さてアキヒサwithフライングの二度目の東京遠征。 二日目の…

掛け持ち時代その15

1985年22歳の頃。 PAオペレーターの小川くんの「豹変」を目の当たりにした初日の夜も無事に更けて、東京ライブ二日目。 この日も初日と同じ新宿のヘッドパワーでのライブ(ま、三日目も同じだけど) 昨日から機材はライブハウスに置きっぱなし。 つまり「搬…