muranakaromanのブログ

ドラマー村中♪ろまん♪

脇道24

 

1994年31歳の頃。

 

この年から意気揚々と参戦したRSCCというレース形式の走行会も最終戦
前回はレースカーが修理中の為、ナンバー付き街乗りレビンで参加で色々とストレスを感じながらのレースだったが、今回はレースカーも直り調子もよかった。


なのに…それなのに…
予選でまさかの「計測器故障の為に有効タイム無し」
31台出走のレースの31番目からスタートとなった。


中山サーキットをご存知の方はイメージしていただきたい。
この31番目と言うスタートポジションは、中山サーキットのスタートラインから2台ずつならんだ16列目。
位置的には最終コーナーのクリッピングポイント付近。

もはやホームストレートですらない(>_<)


文句を言ってても仕方ないので、最後尾にクルマを停めた決勝スタート直前。
他のマシンのほとんどは、当然1コーナーへ向けてのスタートだが、ワタクシは最終コーナー立ち上がりの壁に向かっての変なスタート。


スタートの合図の国旗が振られた。
すでに開き直っているワタクシは冷静なスタートで1コーナーを立ち上がるまでに4~5台抜いた。


その後もコーナーを曲がる度にポジションを上げていく。
…本来ならこっちの方が速いのだから当たり前である。


周回を重ねてもワタクシの「追い越しショー」は終わらない。
これが真夏のレースであればタイヤがタレて、ある程度の順位で落ち着くのであろうが、季節は秋11月であった。


10周目のゴールまで抜き続け、結果は26台抜いた。
ワタクシの前に走っていたのは4台だけ。
皮肉にもこのシーズン最高位の5位で初入賞(1位から6位までは入賞となりポイントがつく)だった。


最後に変な波乱があったものの、初参戦の1994年は六戦全てに出場して獲得したポイントはこの最終戦の1ポイントのみ。


「よし、この調子で来年も頑張るぞ!」と意気込むワタクシであったが、翌1995年の第一戦は開催中止となる。

 

 

1月に、あの阪神淡路大震災がおこるのだ。

 

 


続く☆