1993年30歳の頃。
知り合いからN1レースカーを譲り受け、翌年からの公式レース参戦をもくろみライセンスを取り装備も揃えたワタクシ。
94年の第一戦への出場申し込みをすべく、ショップ「P」へ出向いたところ、マシンを譲ってくれたKさんが…
「ロマンくん、ホンマにウエストジャパン出る?」
「はい、そのつもりで来たんですけど…なんか問題あるんですか?」
「それがなぁ、来年は台数集まれへんと思うねん」
確かにこの年のウエストジャパンのハチロククラスは、出場台数が減っていた。
12月の最終戦は参加が4台だけだったと聞いていた。
つまり「最下位」以外は表彰台と言う「なんだかなぁ」の状態であった。
しかもその4台のうち1台は我々と同じチームの人間で、勤め先の転勤で来年からは参戦しないのを知っていた。
そしてウエストジャパンは「フレッシュマンレース」のカテゴリーなので、シリーズチャンピオンになった者は翌年からは出場出来ない。
「アナタは速いんだから、もっとステップアップしなさい」って事である。
つまり「4台中2台は来年は出ない」って事。
新たに参戦する者が何人いるか?である。
しかも追い打ちをかけるようにJAFからレギュレーション(ルール)の変更が発表された。
翌年からアクリルウインドウは禁止。
フロントガラスは「合わせガラス」である事。
※確かフロントガラスについては猶予期間が半年ほどあったように記憶している。
この頃のN1レース車両は軽量化と割れた時の安全性からフロントガラス以外はアクリル素材に交換してあるのが「主流」だった。
それを「普通のガラスに戻せ」と言う事である。
みんな交換したガラスを大事に保管している訳がない。
わざわざ高いお金を出して「重くなるように戻す」と言う事をしないといけない訳だ。
そしてフロントガラスはハチロクの後期型なら合わせガラスだが、ワタクシの譲ってもらったのは前期型。
「強化ガラス」なので猶予期間が終わるまでにフロントガラスまで替えないといけない。
実はこれ、かなり高額。
レースの世界では、この「レギュレーション変更」がよくある。
F1でホンダが16戦15勝した翌年には急に「ターボエンジン禁止」になったのが有名だが、とにかくルールに振り回される事が多いと聞いていた。
これが実際に自分の身に降りかかろうとは。
しかもまだ参戦していないのに(^_^;)
さてどうする、ワタクシ!
続く☆