ここまでのあらすじ
・毎週スタジオには入るがライブはしない「火曜日バンド」を続けつつ、レースに目覚める。
・ライセンスもとりマシンも手に入れ準備万端だったが、突然のルール変更に公式レースを諦めてレース形式の走行会に出る。
・そこそこの成績のまま迎えた3年目、こちらもルール変更でノーマルエンジンが圧倒的不利に。
・それでもなんとか頑張っていたが単独スピンしたところにぶつかられてマシンが廃車の危機に!
1996年32歳の頃。
この年の第三戦でボディーに大きなダメージを受けたワタクシのハチロク。
いつものショップ「P」で見てもらう。
「エンジンは大丈夫やな…足回りもフロントのロアアームだけ交換したら大丈夫やろ…ただ…ボディーが修復できそうにないな。どっかからハチロクのボディー探しておいで」
…そんな簡単に言われても(T_T)
この時点で、すでに生産終了から10年近く経っていたクルマ。
たしかに人気があって台数は多く出回っていたが「走り屋・レーサー」に好まれたクルマだけあって「ボディー」はなかなか見つからなかった。
あちこち声をかけ、色々調べて…雑誌で「エンジンはありませんがパーツ取りにどうぞ」みたいな記事を見かけると電話して確認したり。。。
どうしても見つからないので一ヶ月後には「もうAT(オートマ)のハチゴーで大改造しましょか?」とか相談するぐらいになっていた(いくらかかんねん?!^_^;)
するとショップに顔なじみのチームメイトがやってきた。
1995年の震災後、実質開幕戦となった第二戦に出場したOくんであった。
「ロマンさんハチロクの箱(ボディーの事)探してはるって聞いたんですけど、まだ探してはります?」
「もちろん!なかなか無いねん」
「僕、トレノ2台持ってますよ。エンジンかからなくて動きませんけど」
一同、口を揃えて「はよ言えや!!!!」
詳しく聞くと、なんでも彼女の実家が所有している資材置き場に2台置いてあるらしい。
「遠いんですけど、取りに行ってもらえるんならタダであげますよ」
Oくんが天使に見えた(о´∀`о)
早速レンタカー屋さんでクレーン付きのトラックを借り、丹波篠山まで取りに行った。
2台のうち1台は「土に返りかけていた」が、マシな方の1台を積んでショップまで運んだ。
同じハチロクであるが、こちらは公道仕様。
ここからが大変である。
続く☆