1986年23歳の頃。
大阪池田市のオールディズの店にも馴染んできたワタクシ。
日曜日にはお店主催のソフトボール大会をしたり、神戸ケントスの「日曜日バンド」のトラに行ったりして、それなりに楽しい毎日を送っていた。
(この頃のオールディズのお店は基本的に年中無休だったので、バンドは月~土のレギュラーバンドと日曜日だけの別バンドの2つが入っている事が多かった…ちなみに「トラ」というのは元々その仕事に入る予定の人が都合が悪い時にピンチヒッターで演奏する事で「エキストラ」の略だそうです)
しかし、ミナミのシンジさんの店でやっていたような「何の取り決めも無しでその場の空気で次を読む」みたいなスリリングな演奏は無いので、なんとなく退屈でもあった(←仕事やろ!^_^;)
そんな頃、一本の電話がかかってくる。
「おぅ!暁生、元気か?今なにしてんねん」
シンジさんである。
「なにしてるて…シンジさんと電話してます」
「違うがな!最近どうしてんねんっゆーこっちゃ!」
デジャヴ!!!←これもデジャヴ(^_^;)
「今度、梅田の店で演奏する事になってんけど、一緒にやらへんか?」
「ありがとうございます!でも、今のオールディズの店はコジマさんからの紹介みたいなトコなんで…」
「そのコジマが暁生ともう一回どうしても一緒にやりたいゆーてんねん!今の店は宵の口やろ?梅田はナイトやから」
※当時この業界では日付が変わるまでの時間帯を「宵の口(略して宵)」深夜12時以降の時間帯を「ナイト」と言う事が多かった※
「いや、それが最後のステージが終わるのが1時ぐらいなんですよ。12時に梅田は無理なんです」
「かまへん、暁生が来るまで待っといたるから」
「そんなんアリなんですか?ありがとうございます!!!」
こうして夕方6時から深夜1時まで池田市でオールディズを叩き、終わるとすぐにクルマで梅田へ移動して朝5時まで歌伴したりの日々に変わった。
ミナミでの「午後8時から午前5時」までより時間的には長かったが、何よりシンジさんやコジマさんと音を出せるのが嬉しかった。
こうして「夜のバンド業界」にどっぷり浸かっていったワタクシであった。
続く☆