1986年23歳の頃。
セリカソロライブのバックを務めたからと言って、急にお客さんが増える訳でもなかったが、なんとか地道にライブを続けていた「アキヒサwithフライング2」
そのうち、またセリカさんがソロライブをすると言う事で、フライング2のメンバーは「セリカバンド」に早変わり。
ソロ2回目のバナナホールでは生ドラムを元セリカwithDOGの河上くんが、デジタルドラムをワタクシが叩いた。
この時もバナナホールは満員。
その次のアキヒサwithフライング2のライブはさすがに少しお客さんが増えた(^_^;)
そんなこんなで、地味ながら途切れる事のない活動がずっと続くかと思われたある日、ヴォーカルのザル(アキヒサ)が言い出した。
「そろそろ就活するからバンド辞めようと思うねんけど」
しゅ、就活ぅ?!!!(・□・;)
その頃のフライング2のメンバーは、ギターの戸田さんが運送屋さんでバイト、ベースの天岡くんとワタクシもバイト生活、キーボードの兄・伸一は夜の街でピアノ弾き。
バンドをする為には時間の融通の効くアルバイトが当たり前だと思っていた。
しかし、考えてみればザルは大学卒業を控えていて就活するのは当たり前。
「お前だけカタギにはさせへんでぇ!」とは言えなかった(^_^;)
こうしてアキヒサwithフライング2はバーボンハウスのラストライブを最後に解散。
またしてもバンドが無くなったワタクシ。
兄・伸一とベースの天岡くんは、これまた「マネージャーのノウミさん」に集められて、ヤンタこと山根康広と新しいバンド「BEE FREE」を結成。
ギターに「アキヒサwithフライング」のメンバーだった木村ワローが参加したり、後にワタクシとセリカwithDOGで一緒になる澁谷JACKが参加したりと、今思うと興味深いメンバーのバンドだ♪
一方ワタクシは「またヘビメタでもするか!」と、メンバーを探そうとしていた矢先、一本の電話が掛かってくる。
「おぅ!暁生、元気か?」
電話の主はパニックのヴォーカルだった、あの派手派手カマロ(笑)のシンジさんである。
続く☆