1987年24歳の頃。
夕方から池田市のオールディズの店、深夜1時半から朝5時まで梅田で歌伴(お客さんが歌う伴奏ね)と「バンドする暇も無い」毎日を送っていたワタクシ。
その後、オールディズにすっかり飽きて(笑)池田の店を辞め、梅田の歌伴の店を転々と(^_^;)
それでも深夜12時からの仕事はシンジさん・コジマさんと一緒だった。
母から真顔で「相談があんねん」と言われたのは、そんな暮らしを一年程続けた頃だった。
母いわく
「昔からお世話になっている人でピアノ修理工房をしている調律師さんがアンタに来てほしいと言っている」と。
詳しくきくと「来てほしい」のは遊びに来いとか家具の移動を手伝えとかではなく、ワタクシを弟子としてむかえたいと。
いや、普通「弟子にしてください」ってこっちから行くようなモンとちゃうのん?(^_^;)
なんでもその人はワタクシを子供の頃から知っていて、興味を持ってくれていたらしい。
母から「頼むわぁ、おかあちゃんの顔を立てると思って」と言われて無下に断りにくいが…そうなるとバンドマンの仕事はもちろん、ドラムを叩く事自体出来なくなるのでは?
高校一年生から続けてきたドラムを辞めてしまうのか?
このブログも次回で最終回なのか??
続く☆