前に書いた「質問の答え」の中に入れなかったものが一つあった。
それは「最初のライブは書いてありますが、ライブハウスに最初に出たのはどのバンドでどこのライブハウスですか?」というご質問。
これはちょっと説明が長くなるので他の質問とは別にさせてもらった。
なので、遠慮なく長々と説明する(笑)
「ライブハウス」という場所に最初に出演したのは大阪心斎橋にあった「バハマ」、1981年3月の事だ。
大阪出身のロックバンドのほとんどが最初に出演するライブハウス…それがバハマだったのだ(←ワタクシの勝手な推測^_^;)
1963年10月29日にオープン、2006年11月23日の閉店まで幾多のバンドを応援し続けてくれたライブハウスバハマ。
※過去のレギュラーバンド達※
アースシェイカー,44マグナム,アーンツサリー,ガーゴイル,インスパイア,バレンタインDC,アイオン,アインスフィア,マリノ,SHAZNA,プレゼンス,魔女卵,ラジャス,X-RAY,すかんち,陰陽座……等々(バハマホームページより)
YOSHIKIやTOSHIの初期Xも出演した事があるそうな。
ただワタクシの場合は「バンド」ではなくユニットとして、それもドラムではなく「なんとなくドラムのようなパーカッション」というあやふやな立ち位置での出演だった(^_^;)
生まれて初めてのライブハウス出演が決まったのが、ライブ当日の昼間(笑)
そう、その日のイベントには元々ワタクシの出演予定はなかった。
イベント名が「きっと優しくなれる夜に」
出演は「ささくら慎三、戸田よしのり、村中伸一、コズミ・・・」(←当時のライブインフォメーション通り)
元スーパーフライングバンドで当時コズミックパワーのヴォーカル慎三さんと、同じく元スーパーフライングで当時スカイドリームの戸田さん、そしてスカイドリームキーボードの我が兄・伸さん。
当日MCで慎三さんも言っておられたが「コズミ・・・」の部分はコズミックパワーので当日スケジュールが空いているメンバーを誰か連れてくるつもりだったと。
2ステージ目でギターの脇田優一氏が出演されたので、嘘にはならなかった。
そんな大御所ばかり出演のイベントに、なぜ高校卒業したての18歳が出られたかと言うと…その日の昼間に戸田さんが働く楽器屋さんに遊びに行ったところ
戸「今夜バハマでライブやねん、おいでぇや」
ワ「もちろん行くつもりです」
戸「そうや、なんか叩くか?」
ワ「なんかってどーゆー事ですか?」
戸「いや、アコースティックライブにしようって話やからドラムセットをガンガン叩くのもアレやから…コンガか何か持ってないん?」
ワ「家にコンガもボンゴもありますよ」
戸「そんならパーカッションって事で出たらええわ」
ワ「ホンマにええんですか?!」
その夜バハマで、少し緊張の面持ちでコンガを叩くワタクシが居た。
さすがに不慣れなコンガだけでは落ち着かないので「バスドラとスネアとライドシンバル」と言うストレイキャッツのようなドラムセットも叩いたが。
実はこのイベントに「菅沼孝三師匠が来るかも知れない」という話だったので、ワタクシは珍しく緊張していた(^_^;)
このイベントの2~3日前に兄・伸一の第一子「太郎」が生まれていて、メンバー紹介で慎三さんに「帝王切開村中!」と言われて大爆笑の客席を見ながら、ワタクシの笑顔は緊張でひきつっていたのを覚えている。
結果的に師匠は別現場での仕事が終わるのが遅くなり、この日は現れなかった。
めでたしめでたし(笑)
そして兄伸一の第一子は実は帝王切開ではなく自然分娩だった。
めでたしめでたし♪
ちなみにこのバハマ、二か月後ぐらいにグランドクロスというバンドで初出演させてもらっている。
てな事で特に募集はしていませぬが、質問のある方はTwitterやらFacebookからどーぞ。
続く☆