muranakaromanのブログ

ドラマー村中♪ろまん♪

掛け持ち時代その14

1985年22歳の頃。

 

アキヒサwithフライング、二度目の東京ライブ。

 

初日から新宿のヘッドパワーで3DAYS。

我々は三日連続出演だが、対バンは毎日変わった。

 

前回のように「全員で同じホテルに泊まって大騒ぎ」ではなくて、それぞれ勝手に泊まるスタイル。

 

一日目のライブが終わり(←ライブの内容は?^_^;)、初日はPAオペレーターの小川くんの友達の家に泊まらせてもらう事になっていた。

 

もちろん「9人全員」ではなく、ワタクシと小川くんとヒラタの3人。

 

ヒラタは大阪から400ccのバイクで来ていたので、ワタクシのクルマが先行してヒラタが後からついて走るカタチでの移動。

 

小川くんの友達の家の住所を地図で探し(この頃カーナビがあったらなぁ)渋滞の中、首都高を走った。

 

しばらくして助手席の小川くんから

「これ逆方向やで」

と、衝撃的な事実を告げられる(笑)

 

どうやら地図の「江戸橋」と「江戸川橋」を間違えていたようで(^_^;)

 

首都高を一旦下りた所で、後続のヒラタに説明すると

「村中ちゃん、頼むわ!バイクで渋滞はメッチャ辛いねんから!!」

と、4つ歳下のスタッフにキレられるワタクシ(^_^;)

 

平謝りに謝って、なんとか到着。

 

「夜分にすみません、お邪魔します」と家にあがらせてもらうと、今まで関西弁で楽しく喋っていた小川くんが急変した!!!

 

急に「東京弁」になったのである。

 

あらバイリンガルなのね♪…とか言ってる余裕はなかった。

 

あとからきいたのだが、彼は仕事上「相手が東京弁なら東京弁に合わせる」と言う、信じられない特殊技能を持っていたのだ(←大袈裟なようだが本当にそう思った!^_^;)

 

そして小川くんの友達の家で楽しく会話が弾む…事もそれほどなくすぐに寝た(長旅とライブで疲れてたんやろ)

 

はい、おやすみなさい☆

 

続く☆