1981年19歳の頃。
大阪のライブハウスの出演がいくつか決まって、曲作りや練習にも気合いが入る「一億&魔法瓶」
当時出演した大阪のライブハウスは・・・
キャンディーホール
ポップコーン
コットン100% 等々。
ありがたい事に、対バン形式ではなくワンマンライブが多かった。
なので、ライブ当日の流れとしては
1、指定された入り時間少し前に集合
2、クルマから楽器を搬入
3、セッティング
4、音決めとリハーサル
5、本番までの時間は自由行動
6、本番少し前にライブハウスに戻り衣装に着替える
7、ライブ本番
8、バラして片付け
9、打ち上げ
こんな感じ。
最近の「5バンド・6バンド当たり前」のイベントライブに比べれば、時間的に凄く余裕があって、贅沢な環境だったと思う。
ただ逆に「PA以外は全て持ち込み機材」だったので「2」と「8」は本当に大変だった。
芸人さん含めたメンバー全員とオペレーターで同行してくれてたOくん(なんと最初に組んだバンド「THE FATES」のメンバー…この頃は音響の専門学校を卒業した頃かな?)も手伝ってくれてたが、それでも大変!
なぜならこの頃の魔法瓶はギター二人ともグヤトーンのギターアンプ三段積み。
ベースアンプもPEAVEYの三段積み。
ドラムはツーバスにタム6個←それはお前のさじ加減やろ!
さらに手品の道具とか仕掛けとか「普通のバンドには無い荷物」も多かった。
搬入とセッティングで、すでに汗ダク。
リハが終わればライブハウスの近くの銭湯に行って縦に並んで座り「はだかぁ~てんごぉく♪」(←ある年代以上で一部地域の方しかわからないCMですみません)をするのが常だった。
なので、いつもライブハウスに近い銭湯を探すのだが・・・
キャンディーホールだけは周りが「そっちじゃないお風呂屋さん」がいっぱいだったので色々困った(いや行ってませんよ…お金も無いし^_^;)
ちなみに当時のライブ衣装は「支給品」
ポスター撮影の時に何パターンかもらっていた。
基本的に「お揃いのデザインの色違い」
「次回はこの衣装で」と指定があったので、間違って持って行くと大変な事に(大阪なら取りに帰れたけどね^_^;)
しかし魔法瓶のメンバー、どんだけ風呂好きやねん?
続く☆