muranakaromanのブログ

ドラマー村中♪ろまん♪

魔法瓶(第三章)その4

1981年19歳の頃。

 

ステージの上には「三段積みのギターアンプが2セット、三段積みのベースアンプ、ドラムはツーバスにタム6個にシンバルいっぱいのフルセット!


「さぁ、どんな演奏を聴かせてくれんねん?」

 

とハードル上げるだけ上げての一億&魔法瓶のライブ、実は「そこそこ」だった(^_^;)

 

決して「下手クソ」ではなかったと思う(思いたい)が、お世辞にも「さすがプロ!」ってレベルではなかった。

 

一方メイン(なのか?)のお笑いにしても「バカ受け」には程遠かった。

 

やがて大阪のお客さんにも徐々に「たいした事ないなぁ」とバレてきた(^_^;)

 

そして集客も減り、ライブハウス側も「次のライブ?…まぁ、またこちらから連絡しますね」って感じになってくる。

 

そこで事務所は大阪以外の地域に売り込みを開始。

 

ただ今のような「ライブの様子がYouTubeにあがってる」とか「ウケてるネタを収録したビデオがある」訳でもない時代、売り込む「素材」が無い。

 

そこで「せめて曲の感じがわかるように」とデモ音源の作成が決定。

 

「スタジオ円」いや「スタジオ246」でレコーディングが始まった。

 

一通り録音が終わって、全員参加でミックスダウン。

 

※「それまでは全員参加してなかったんかい?!」とツッコまれそうですが、バンドの録音は通常「ドラムだけ」又は「ドラムとベースだけ」を先に録音して、その録音を聴きながらベース→ギターバッキング→ギターソロと録音し、いわゆる『カラオケ音源』の状態になってからヴォーカル、という順番で録っていきます。なのでレコーディング初日には「ドラム一人だけ」の場合もあります※←こういう説明だけ「ですます調」の丁寧な文章(笑)

 

しかし改めて自分たちを音を聴くと…「こんなもんなんか」と。

ボーヤとして聴く師匠のライブやスカイドリームやフライングには比べものにならないぐらいショボい(>_<)

 

「しっかりツッコミ頑張ろう」と思ったワタクシであった(←ドラムを頑張れ)

 

そしてこのデモ音源のおかげか名古屋のライブハウスへの出演が決まり、バンドとしても個人的にも「初めての遠征ライブ」であった。

 

 

続く☆