1980年18歳の頃。
ハイトーンヴォーカリストが抜けてもトリオで頑張っていたバンド「ペガサス」
あちこちに出演していただけあって、電車に乗っていると見知らぬ女子高生から「ペガサスの人ですよね?応援してます!」と言われる程には名前が知られていた(←たった一度の出来事をちょいちょい言われてたように言うな^_^;)
ところが、ギターのNくんが「バンドを続けられない」と言い出した。
「実家を出て一人暮らしをする。ギターは続けるけど毎日の生活が安定するまでバンドはしない」との事。
ベースのTやんも社会人だが実家暮らし。
ワタクシにいたっては呑気な高校生。
さすがに止める事も出来ず「じゃあ最後にライブしよ」って事になって、吹田の井村楽器本店の最上階の大きなスタジオでスタジオライブをする事に。
在籍していたサークルHMの仲間のバンドや「茨木の音源宝庫」TAKUのバンドも出演(この時TAKUはヴォーカルでベースはクールジョー!)で、ペガサスの解散ライブに花を添えてくれた。
ワタクシとTやんは新しいバンドを結成すべく、雑誌PLAYERのメンバー募集やスタジオの「バンド加入希望」の貼り紙なんか見て、何度かギタリストのオーディション(←何様?)をしたが「これ」と言う人に出会わない。
兄のバンドのギタリスト戸田さんにこの話をすると「一人おるで」と、紹介してくれた。
一つ年上の西原くんである(イニシャルが同じなので実名報道で^_^;)
「派手なバンドにしよう」と、ヴォーカリストとキーボーディストをサークルHMから呼んで「さぁ頑張るぞ!」
レインボーのスポットライトキッド
NOVELAのジェラシーやナイトメア
レイジーのドリーマーなんかを課題曲として、我が家で初練習。
すると西原くんが「大きい音出されへんから練習にならへん!」と言うではないか(そりゃあマンションですから^_^;)
では次からの練習はスタジオでしよう。
さてどこがいい?
ここでメンバーの意見が割れた。
西原くんは、戸田さんの働く楽器屋を希望。
Tやんは地元の楽器屋を希望。
他のメンバーもどこか希望を言ってたように思う。
はい、解散(笑)
高校三年生の夏の終わりだった。
続く。
※実名報道のお名前が間違っておりました、訂正してお詫び致します※