1982年19歳の頃。
ワタクシを新しい(?)バンドに誘ったヴォーカリスト、ザルことオクムラアキヒサ。
彼はワタクシより一つ歳下で、元々スーパーフライングバンドの「取り巻き」であった。
彼自身も高校生の頃から「大阪うどん定食バンド」(←バンド名!^_^;)でスーパーフライングの曲をカバーしたりしていた程の「戸田教信者」(笑)
ワタクシがコーゾー師匠のボーヤとしてコズミックパワーのライブに同行するようになった頃、彼も同じコズミックパワーのギタリスト「脇田優一氏」に弟子入りして、よくライブ会場で一緒になっていた。
…あれ?弟子入りするなら、ヴォーカリストの慎三さんとちゃうんかい?!(^_^;)
いや、ザルはギタリストとしても頑張ろうとしていたのだ。
…それなら戸田さんに弟子入りとちゃうんかい?!(^_^;)
その辺は、今度本人にきいておくとして、とにかくよく顔を合わせていたので気心も知れていた。
そんな新バンド「アキヒサwithフライング」はレパートリーを増やすべく(確か全曲オリジナルだったと思う)スタジオ練習を重ねていく。
そんなスタジオ練習の2回目か3回目に、ベースのワーくんからいきなり爆弾発言が!
「仕事で名古屋に引っ越さなアカンねん」
今ではメンバーの住まいが「大阪と名古屋」のバンドは沢山あるし、OZMA-Xや浪漫座は「東京と大阪」の遠距離バンドである。
しかしこの時代は「週イチのスタジオ練習は当たり前、ミーティングはもっと頻繁」って頃。
大阪〜名古屋の距離は、とてもとても遠かった。
仕方なく、ベースのワーくんは一度もライブする事なく脱退。
さて困った!(>_<)
メンバーから「誰かベースおらへん?」
今までも何度か出てきたこのフレーズ(笑)
はい、居ますね、皆さんご存知の人が!
では皆さんご一緒に…
「谷やんがおるで〜!」
有無を言わさず…いや「二つ返事で」元・一億&魔法瓶の谷やんが加入して、何度かスタジオ練習を重ねるうちに
「もう一人ギター欲しいな」
って話に。
またワタクシに振られるかと思ったら、そこはギタリスト同士の方が話が早かったようで(^_^;)
ギターの吉田ジローの紹介で「木村ワロー」が加入。
「吉田ジロー・木村ワローって漫才師みたいやな」と笑っている谷やんに
「お前もこないだまで『年野はじめ』って漫才師みたいな名前やったやないかい!?」
と、ツッコミを入れた「元ペガサスあきお」であった(^_^;)
続く☆