1980年18歳の頃。
トリオバンド「ペガサス」解散後に結成したバンドは、バンド名を付ける間もなく解散(>_<)
しかしギターの西原くんとワタクシは、スーパーフライングバンドの「ファミリー」の一人「ワーくん」をベースに招いて新バンドを結成。
十三(「じゅうそう」と読みます…大阪梅田のほぼ隣です)のJM、つまり戸田さんの居る楽器屋さんのスタジオを使って爆音で練習しながらヴォーカリストを探していた。
一方その頃、ワタクシが通っていた高校では「最後の文化祭」が近付いていた(ようやく高校生らしい話題!)
もちろんワタクシも学校の仲間とバンドを組んで出演する訳だが…ここまでほぼ3年間かけても追いつけないライバルが居た。
同学年のYくん(このブログの「高校三年生その2」の『よっしゃ!頑張ろうのコーナー』で出てきた彼←コーナーやったんかい!?)である。
入学当時から上手かった彼。
「追いつけ追い越せ」で必死で練習したワタクシだったが、彼も練習を重ねていてなかなか差が縮まらない。
なんとしてでも最後の文化祭では「ひと泡吹かせたかった(表現が不適切)」のだが、誰が聴いても彼の方が上。
そこでワタクシは「飛び道具」に頼る事にした。
「スティック回し」である。
コーゾー師匠がステージで演奏中に華麗にスティックを回した途端に「うおぉぉ!」と客席から声が上がるのを、ワタクシは何度も見ていた。
その師匠が言っていた「ドラマーは見た目も大事やで」と言う言葉を勝手な方向で解釈して、ワタクシはスティック回しの練習に精を出す毎日だった(^_^;)
さて飛び道具の効果はいかに?
続く☆