2005年41歳の頃。
前の年の6月のイベント「Rock to Rock」の為に結成された大阪ネオンナイツだったが、その後バハマでもライブ。
しっかり「バンド」として動き出していた。
その「Rock to Rock」の第一回セッションで、寿太郎さんの目に留まったギタリストがいた。
そのギタリストは「水谷くん」と言って、セメタリーなんかでメタルギターを弾いていた男。
寿太郎さんは、この水谷くんと「ジャーマンメタルっぽいオリジナルバンド」を組もうとメンバーを集めた。
ベース寿太郎さん、ギター水谷くんは決まりとして、あとはキーボードとドラム、そしてヴォーカルである。
キーボードとドラムはすぐに決まった。
復活スターレスでも鍵盤を弾かれた上村さんだ。
そしてドラムはワタクシ(そう言えばONKのスタジオの時に「速いツーバスとか踏める?」ってきかれてたっけ^_^;)
ヴォーカリストは「ギターも弾ける人がいい」って事でレオ・フィガロ君(現MinstreliX)に決定。
そのレオ君と水谷くんが相談して(と言うかゲームの用語から拝借して)「FIGA(ファイガ)」と言うバンド名に決定。
オリジナル曲を作ってライブをする為にスタジオ入りを重ねる。
…こうしてまたワタクシの「起きてる時は仕事してるかドラム叩いてる病」が進んでいくのであった(^o^;)
さらにこの時にも同時進行で「大阪ネオンナイツのとんでもない計画」が進んでいるのだった。
続く☆