1997年33歳の頃。
7月に行われた第二戦。
決勝の四周目に4位に上がったワタクシ。
そのまま五周目に入り1~2の複合コーナーを立ちあがった2本目のストレート。
ルームミラーが藤色一色になった。
さっき抜いたハチロクのボディーカラーである。
ホームストレートで差を詰められていて、この2本目のストレートでスリップに入られていた。
ストレート真ん中までに横に並ばれ4~5の複合コーナー入り口では前に出られ5位に落ちた。
しかしマウンテンエリアでくらいついて行き、前の周と同じ9コーナーでインをさす。
藤色ハチロクは今回も無理にインをしめずに「ジェントルマン」なレース。
そのままゴールライン通過、4番手だ。
そして次の周もストレートでまた抜かれ、9コーナーで抜き返す。
このパターンは、なんとファイナルラップまで続いた。
迎えたファイナルラップ。
コントロールラインを越える瞬間はワタクシが前、すぐ後ろに藤色ハチロク。
それまでの周と同じように2本目のストレートで並ばれ、4コーナーの入り口では前に出らてしまう。
そしてマウンテンエリア。
それまでと同じように藤色ハチロクのすぐ後ろにつき、9コーナーでの追い抜きを狙う。
最後の周ぐらいはインをしめてブロックしてくるかと思ったが、藤色ハチロクは最後まで一車身空けて「ドアを閉める」ことはしなかった。
また前に出たワタクシは、そのままゴール。
4位だ。
クールダウンの周回を終えてピットに戻ると、スタッフが拍手で「過去最高位」を称えてくれる。
しかしワタクシの心中は複雑だった。
「今回、自分はほぼ完璧な走りだった」
「スタートからゴールまでクルマのトラブルは一切なかった」
「レース序盤で『すぐ後ろでアクシデントがある』というラッキーな状況だった」
「ライバルも強引なブロックはせずクリーンなレースをしてくれた」
それでも表彰台には届かなかった。
(ノーマルエンジンではこれ以上無理かも)
表彰台のすぐ横で4位の賞品のエンジンオイルを受け取りながら、そんな事を考えるワタクシだった。
続く☆