muranakaromanのブログ

ドラマー村中♪ろまん♪

きーちゃん

 

5月5日は「子供の日

端午の節句…と言うが「端午」が何かも知らない非国民なワタクシ(^_^;)

 

もちろん、鯉のぼりを上げたりチマキや柏餅を食べたり、お金持ちの家には「鎧」っぽい物が飾ってあったりしてたのは覚えている。

 

しかし「子供を祝う日」なのかどうかは、よくわからない。

 

ワタクシには子供が居ない。

居たら少しは関心を持ったのだろうか…。

 

そんな事を思い出していたら、子供の頃に町に居た「きーちゃん」を思い出した。

 

彼はワタクシよりもずっと年上なのだが、ちょっと頭が足りない。

 

病気のせいなのか事故で頭を打ったのか…理由は知らないが、彼はいつもニコニコ町を歩いていた。

そう「いつも」歩いていたのだ。

 

どうやら彼は大人なのに仕事をしていないようだった。

 

今ならそんな大人も珍しくないし、仮に毎日散歩している大人を見たって「不動産収入があるのか株で儲けているのか、なんならYouTubeか」とか色々推測するだろうが、当時…1970年代は『大人は朝から働きに行く』または『お店をやっている』のが当たり前だと思っていた。

 

きーちゃんは頭が足りないので、働き口がなかったのかも知れない。

 

あ、彼の本名は知らないが、町の人は皆そう呼んでいたのでワタクシもそう呼んでいた。

 

そして彼の家は「駄菓子と雑貨の店」を経営していて、彼の母親が店番していた。

その店の名前も「きーちゃん」だった。

ひょっとしたら正式な屋号は別にあったが、きーちゃんの家なのでそう呼ばれていたのかも知れない。

 

今から思うと、彼に対して町の人はとても温かく接していた。

 

「きーちゃん、どこ行くねん?気ぃつけて行かなアカンで」

「きーちゃん、夕方から雨降るみたいやから早よ帰りや」

「きーちゃん、お母さんは元気か?」

 

みんなで声を掛けていた。

 

今なら施設に入ったり、家に居てもあまり外には出さないようにしそうだが…そう言う意味では良い時代だったのかも。

 

ただ、ワタクシは中学生の時に引っ越してその町から離れた。

 

きーちゃんのその後は知らない。

 

お母様が切り盛りしていたお店がずっと繁盛していたならいいが。

それに、順番からいってもきーちゃんよりお母様の方が先に逝ってしまわれそうだ。

 

そうなるときーちゃんは、どうやって生活して行ったのだろう。

 

 

ふと、そんな事を思い出した「こどもの日」だった。

 

 

今回はドラムと全く関係ない話で申し訳ない。

まだドラムを始める前の事なので(^_^;)

 

ではまた☆