2007年44歳の頃
ボイリングブラッドのアルバム「FLAT OUT」が発売されるとかされたとかの頃(どっちや?^_^;)、とある女性から連絡があった。
連絡があったほんの数日前(2007年の9月)に道頓堀シュリンプにおいて、KISS?で対バンしたばかりのMIKOTOさんである(この時MIKOTOさんは「Marukkiri Schenker Group」と言うバンド…なんのコピーバンドかはわかるね?)
「10月14日にSonic Gold Mineで難波ロケッツに出る予定だが、ドラムの中島賢三氏が指を骨折して叩けなくなった。ピンチヒッターをお願い出来ないか?」と言う意味の事が、それはそれは丁寧な文章で送られてきた。
Sonic Gold Mine(ソニックゴールドマイン)と言えば、現D_Driveのギタリスト&コンポーザーの仲さん率いるオリジナルハードロックバンドで、ワタクシも何度かライブを観させてもらった事があった。
『結構、難しそうな曲のバンドやん!』
そう思いつつスケジュールを確認したら10月14日は空いていた。
空いていたが…もう来月やん!!
その後MIKOTOさんから直接電話でもお願いされた。
なんでも次のライブでMIKOTOさんはSonic Gold Mineを脱退する事が決まっていたそうで…。
出演キャンセルになると「有終の美」を飾るステージが無くなるのだ。
ライブまで1ヶ月を切っていたが、ピンチヒッターを受けさせて頂いた。
スタジオ練習には、心配そうな中島賢三くんも指に包帯を巻いた状態にも関わらず顔を出してくれた。
必死の仕込みと練習で、ライブ本番はなんとかピンチヒッターの役割を果たす事が出来た。
しかし、仕込み期間が1ヶ月無いってのはキツかったなぁ。
…そう思っていたが、当時のワタクシにはさらなる試練が待ち受けているのであった(笑)
続く☆