ドラマーとしての生い立ちシリーズも、ようやく「記憶でなんとか書ける」時代まできた感じ。
2006年43歳の頃。
大阪ネオンナイツ結成のきっかけとなったイベント「Rock to Rock」の主催者であるギタリストMASAから電話があった。
「ロマンさんってKISS好きですよね?ヘルプのドラマーを探してるKISSのコピーバンドがあるんですけど…」と。
なんでもこの年の4月に開催される「Rock to Rock」の第四回目にそのバンドは出演予定らしい。
そしてKISSの「フルメイク・フルコスチューム」のコピーバンドらしい。
それを聞いたワタクシは、すかさず言った。
「KISSは好き過ぎて、もう自分で叩こうとは思わへんねん。悪いけどお断りしといて」
しかしMASAくんは食い下がる。
「そこをなんとか!このイベント一回だけなんで!!とにかく一回リーダーに会って話だけでも聞いてくださいよ〜」
(あとからわかる事だが、彼がそのまでこのKISSのコピバンをイベントに出したがるには理由があった)
その熱意に押され、断るにしても直接顔を見て言った方がいいかと思い「しゃあないなぁ。ほなら今週は火曜日以外の平日の夜は住之江のスタジオに居るから、一回連れておいで」
当時のワタクシは多数のバンドを掛け持ちしたりドラム教室があったりと、とても忙しくしていたが、スタジオのあとの『本当はすぐにでも帰って寝たい時間帯』に時間を割く提案をしたところ、まさかの返事が…
「そのバンドのリーダー、クルマの免許持ってないんスよ。俺も今クルマ無いんで、ロマンさん神戸まで来てくださいよ」
…はぁ?!
ヘルプを「お願いする」立場でありながら、断ると言っているにも関わらずなんとか会うだけ会ってくれと言う申し出に渋々時間を割いてくれる大阪在住の先輩バンドマンに、神戸まで
「そっちから来い」
とな?!
よっしゃ、行ってキッチリ断ったる!
そしてMASAとの付き合いもこれまでにしたる!!
…そんな思いで会う日時を決めたのだった。
続く☆