1993年30歳の頃。
「ロマンさぁ~ん!」
国内A級ライセンス取得の為「公式競技完走記録」が必要なワタクシは取ったばかりのB級ライセンスを持って「ジムカーナ近畿チャンピオン戦」に出場すべく名阪スポーツランドに来ていた。
周りは専属メカニックが付いていたり、バックアップしているタイヤ屋さんのトラックに囲まれたりしている「本気モード」の人達。
そんな完全アウエイの状況で、ワタクシのニックネームを呼びながら走ってくる若い女性。
同じショップ「P」でクルマをイジってもらっているM子嬢だった。
彼女はそれこそ「ジムカーナで勝つ為に」エアコンも載せていないCR-Xに乗ってシリーズを戦っていた。
レディース部門では表彰台の常連になる程の「男前」な女性ドライバーだ。
カリーナEDと言う、競技には似つかわしくない「恰好のイジり対象」のクルマのもとへそんな「猛者」が来たもんだから、冷やかしに来ていた野郎どもはモーゼの十戒のごとく道をあける(笑)
M子「ウワサには聞いてましたけど、ホンマにカリーナで来はったんですねぇ」
ワタクシ「出場可能なクルマがこれしか手配でけへんかってん」
M「ま、ロマンさんにとっては『遊び』でしょうからゆっくり楽しんでください」
ワ「ありがとね、M子ちゃんも頑張りや〜」
自分達が生活の全てを賭けているジムカーナ、しかもチャンピオン戦に「遊び」で来ているとわかった冷やかし軍団は、親の仇を見るような目でワタクシを見ていた(^_^;)
結果的には、トイレの裏に連れていかれてボコられる事もなく(笑)、競技も失格になる事なく完走して終了。
色んなクラスのタイムアタックが終わって、レディース部門で準優勝・表彰台のM子ちゃんに大きな拍手を送っている頃には日も傾いてきた。
M子ちゃんと打ち上げにでも行きたかったが、さすがに彼女は取り巻きが多くその仲間と打ち上げに行く雰囲気(^_^;)
『酢豚の中のパイナップル』のように「ここは俺の居場所じゃない」と、そそくさと帰ったジムカーナ初体験の日でしたとさ。
続く☆