muranakaromanのブログ

ドラマー村中♪ろまん♪

脇道12

 

1993年30歳の頃。


ワタクシがショップ「P」のトップメカニックKさんからハチロクトレノを譲ってもらう話が他のスタッフさんの耳にも入り、色々言われる。


「あのクルマでレース出るんですね、羨ましい!」


「何かあったらKさんがすぐ直してくれますよ、なんせ元は自分のなんで詳しいですから」


「今のパンダレビンは、もうサーキット走らないんですか?」


「じゃあ『大阪ロマン』のステッカーも剥がすんですね」

 

 


そう、ワタクシの「ほぼノーマルハチロクレビン」のリアには自作のシールが貼ってあった。


『大阪みやげに大阪ロマン Kioskで売ってるで』


色んな走行会に出るうちに、他の参加者が「ADVAN」とか「CASTROL」とか「カーショップ○○」とかのスポンサーロゴを貼っているのを見て、自分も何か貼ろうと思い作った。
どうせ貼るなら他の人とカブらなくて覚えやすい物にしようと思った…かどうかは覚えていないが(^_^;)


そのうち、サーキットやショップで「あの大阪みやげのシール貼ってる人」とか「あの大阪ロマンのレビンの人」とか言われるようになり、しまいには「ロマンくん」と呼ばれるようになっていた。

 

さてその「ロマンくん」は、翌年の本格的レースデビューに向けて色々と準備が大変だった。


まずJAFの公式戦に出場するにはライセンスが必要。
ジムカーナやダートラなどのタイム計測競技なら「B級」で良いのだが『よーいドン!』の混走があるレース競技には「A級」が必要だった。
順番としては
1、まずはJAFの講習会に出てB級ライセンスを取る
2、その後JAFの公式競技(ジムカーナやダートラ)に出場し最低1回は完走する
3、その「完走証明」を持ってサーキット等で行われるJAFのA級ライセンス講習会に参加し、筆記試験と走行実技試験に合格する


これでようやく国内A級ライセンスがもらえる。


1のBライ講習会は「座ってるだけ」でもらえるので問題なかったが、2の公式競技に出ると言うのが問題アリだった。


と言うのも、時期的にモータースポーツのシーズン終了間際。
スケジュール的に出れるイベントが限られていた。


色々調べた結果、奈良県にある名阪スポーツランドで行われる「ジムカーナ近畿チャンピオン戦」にしか出られなさそうな事が判明。


「チャンピオン戦」と言うからには「フレッシュマン」等で優勝したような猛者がいっぱい出る大会。
だが「初心者は出場禁止」とかのルールはないのでエントリーは可能。
他の大会は、かなり遠方まで行かないといけなかったので、しかたなくエントリーする事にした。


これが「30年生きてきて一番恥ずかしい事態」になるとは、まだ知るよしもなかった(^_^;)

 

 


続く☆