muranakaromanのブログ

ドラマー村中♪ろまん♪

脇道11

 

1993年29歳の頃に「ほぼノーマル」のハチロクで初めてサーキットを走り、レースの魅力にとりつかれたワタクシ。

 

その後、他の団体が企画する走行会でTIサーキット英田(現・岡山国際サーキット)や、鈴鹿サーキット等に出かけてはノーマルハチロクを走らせていた。

 

そんな様子を見ていたショップ「P」のトップメカニック「Kさん」がこう言った。

 

「クルマ作ってちゃんとレースに出たら?」

 

ワタクシがあちこちのサーッキットで走っていても、それはあくまで「走行会」で本物のレースではない。

そりゃあ本物のレースに出たい気持ちはあったが、そうなると「街乗り」のハチロクでは出られない。

レースのレギュレーション(ルール)にのっとり、改造をほどこし、ナンバーを切る(書類上は廃車にする)必要があった。

 

お金も時間も掛かる上に、大きな問題が一つ。

それは「このハチロクをレース車両にしたら、通勤用のクルマが無くなる」という事。

「ほぼノーマル」のハチロクを本格的レースカーにしてしまうと、当然一般公道は走れない。

当時ワタクシはクルマ通勤。

もちろん電車通勤が不可能な職場ではなかったが…。

 

そんなこんなを言い訳のように「Kさん」に説明していると

「それやったら俺のクルマ買う?俺は来年からニューツーリングに出るつもりやから買い換える予定やし」

 

この頃Kさんはハチロクトレノのレースカーを所有して、中山サーキットで行われていた「ウエストジャパンツーリングカーレース」に出場していた。

翌年から開催されるJTCC(当時はニューツーリングと呼ばれていた)への参戦を目論んでいた。

「レースカーでもFF(フロントエンジン・フロントドライブ)が主流になる」と言われていたこの頃、1994年から「4ドア2000CC、FF」の新規格のレースがスタートすると発表されていたのだ。

 

そんなKさんのハチロクトレノは、もちろん内装無しでダッシュボード貫通のロールバー、フロント以外の窓はアクリルで、当時の「N1レギュレーション」のクルマだった。

 

エンジンはノーマルだったが(ボアアップ等はルール違反)そこはトップメカニックのKさんのクルマ、バランス取りがしっかりされていて、とても軽快に回る4A-Gだった。

 

「い、いいんですか?!是非譲ってください!」

値段もきかず、こう答えた。

 

 

こうして「ほぼノーマルのハチロク乗り」だったワタクシは、いきなりリーサルウエポンを手にして翌年からのウエストジャパン参戦に向けての準備が始まった。

 

ちなみにKさんが参戦しようとしていたニューツーリングだが、最初の発表から色々変更があり、結局メーカーワークス主導の「全日本ツーリングカー選手権」がJTCCに変わる事になる。

個人での参戦は金銭的に実質不可能となり、KさんはシビックEG-6でワンメイクに出場する事になる。

 

 

続く☆