1993年29歳の頃。
初めてのサーキット。
ハーフスピンでダメダメだったフリー走行。
そこそこ思い通りに走れたにも関わらず最下位だった予選。
出場者の中で一番遅いくせにスタートも失敗。
ここまで「ええトコなし」のワタクシだったが、決勝最終ラップだけは違った。
ほぼノーマルの街乗りレビンで「見るからにカリカリフルチューン」の緑トレノの前を走っていた。
もちろん向こうはスピンしてエンジンストールしていたのでワタクシの後ろだった訳だが(^_^;)
狭いコース幅も幸いし、なんとか抜かれずに最終コーナーの一つ手前「下のヘの字」に進入する。
そのコーナーの立ち上がりで、ほぼ横に並ばれた。
あとは最終コーナー入口での「ブレーキ我慢大会」だ。
しかしフリー走行最初のハーフスピンの記憶がよみがえる。
そう、見た目は同じカタチのハチロクでも相手はレーシングカー、こっちはノーマル。
同じポイントまでブレーキを我慢するとこっちは曲がりきれないのである。
そこでワタクシは一瞬のうちに作戦を考えた。
次の最終コーナーは「左カーブ」、コースの一番右側を走るワタクシは、左側からジワジワ「真横」に並んでくる緑トレノに少しずつ寄っていった。
緑トレノをイン側に追いやっていく為である。
幸い最終コーナーに入るまでは、かなりの下り坂。
エンジンパワーの差は出にくい。
「素人に当てられては困る」と、ヤツは案の定イン側へ寄っていった。
そこでワタクシは先にブレーキを踏んで、同時にコースのアウト側へラインを戻す。
ヤツはワタクシの抜きそのまま真っ直ぐイン側へ。
視界から消えたワタクシに安心したのか、強烈なブレーキから「イン→イン→アウト」のラインを取る緑トレノ。
この時点でワタクシは最下位。
その頃、しっかり減速したワタクシは「セオリーでは一番速いと言われている」アウト→イン→アウトのラインを取っていた!
そして早めのアクセルオンで再び緑トレノの前に出た!!
「どや!非力なクルマで抜いたったで!」叫ぶワタクシ!!!
結果は最下位。
前にも書いたが、中山サーキットのホームストレートは「上り坂」、エンジンパワーとタイヤグリップにモノを言わせて、ゴール寸前で緑トレノに抜き返されてしまったのだ。
不思議と悔しくはなかった。
それより「ノーマルでもちゃんとバトルが出来た」って気になって、とても嬉しかった。
「俺、みんなと同じようなマシンに乗ったらそこそこイケるんちゃうん?!」
この最後の一周は、そんな思いあがった気持ちと、それまで味わった事のない感覚をワタクシに焼き付けてしまった。
その日から考える事はいつも同じ…
「またサーキットを走りたい」
続く☆