※ここまでのあらすじ※
・高校生になりドラムを始める
・スーパーフライングバンドにハートをブチ抜かれる
・スーパーフライングバンドのドラマー菅沼孝三氏の弟子になる
・色々なバンドを経て、スーパーフライングバンドのギタリスト戸田さんからの紹介でコミックバンド「一億&魔法瓶」に入る
・コミックバンドを辞める前の最後の遠征に「サポートキーボードに兄を連れて行く」とわがままを言う。
1982年19歳の頃。
「100万円のシンセ」ジュピター8から奏でられる心地よい音色に包み込まれてドラムを叩くと言う、それまで味わった事がない心地よさの中、コミックバンド遠征ライブは終了。
この時はサポート含めメンバー6人と、PAオペレーターとスタッフの合計8人。
いつもの機材に加えキーボード数台。
なのでワンボックスカー2台に分乗しての日帰り遠征だった。
芸人さん2人は現地居残りの為クルマに乗らなかったので、ワタクシの真っ赤なキャラバンに3人、兄・伸一のブルーのタウンエースに3人。
機材の積み込みも完了して
「お疲れさん!さぁ帰るで!!」
名神高速道路を2台連なって走ったのだが…。
ワタクシ運転のキャラバンの調子がおかしい!
エンジンの回転が上がらない。
その代わり(?)水温はどんどん上がる
2台ともサービスエリアに入りJAFを呼ぶ。
応急処置をしてもらったが
「大阪まで走るんですか。。。」
とJAFの人も言葉を濁す。
なんとかまた走りだしたが、しばらくしたら今度はキャラバンのヘッドライトがどんどん暗くなる。
またしても2台して別のサービスエリアに。
そこのサービスエリアにはガソリンスタンドがあったので、スタンドの人に見てもらうと
「エンジンは大丈夫っぽいけど、ダイナモがダメで発電してない。昼間ならともかく夜は走れないですよ」
メンバーには翌日の予定もあり、朝まで待つ訳にもいかないので、みんなで相談してそのサービスエリアにキャラバンを置いて、全員タウンエースに乗って帰る事に。
もちろんそのままでは荷物がいっぱいで乗れないので、機材をキャラバンに移し替えて、無理やり6人乗って、ようやく大阪まで帰ってきた。
翌日の昼間、兄・伸一と2人でタウンエースに乗り、無事「ライトのつかないキャラバン」を回収してきた。
「ひと晩サービスエリアに置きっぱなしで楽器とか盗られてたらどうしよう?」
と心配していたが、そんな被害もなく無事に兄弟それぞれの家に帰った。
前にも書いたようにその数日後、大阪でもキーボードの兄にサポートしてもらい心地よいライブをして、ワタクシのコミックバンドとしてのキャリアは終了、メンバーやスタッフや他の芸人さん達との楽しい思い出が残った。
さらにその数日後、兄のタウンエースからジュピター8が盗まれた。
沢山のローンだけが残った。
コミックバンド時代(と兄のジュピター8所有の時代)おしまい☆