muranakaromanのブログ

ドラマー村中♪ろまん♪

高校三年生 その3

1980年17歳の頃。

 

大好きになって曲も覚えてライブも追っかけられるバンドを見つけたのに、そのバンドが解散するという悲しいニュースを「ニヤけ顔」の兄から聞かされたワタクシ。


「なんで笑ろてんねん?!」と怒りながら聞くと、兄は戸田さんと新しいバンドを組むと言うクリビツテンギョーな(←業界用語ですみません)ニュースをぶちこんできた!!!

 

その時の感情は、それはそれは複雑だったが、とりあえず…「兄ちゃん、おめでとう!(≧∀≦)」である。

 

それぐらいスーパーフライングの皆さんは凄かったって事。

 

 

ゴーストタウンでの「スーパーフライング解散ライブ」が涙涙で…いや大爆笑に包まれて終わってしばらくした頃、自分も戸田さんが居る楽器店に入りびたるようになっていた。

 

この楽器屋さん「JMミュージックショップ」は建物一階がレコード売り場。

二階が楽器売り場。

そして四階に練習スタジオがあった。

(三階が何だったかは、どうしても思い出せない^_^;)

 

この四階のスタジオで戸田さんと兄の新しいバンドが練習していたので、ちょくちょく覗きに行かせてもらってた。

 

このバンドのドラマーは、スーパーフライングのドラマー菅沼孝三さんの一番弟子(あれ?中島くんが先だったかな?)の新田くん。

 

ワタクシより一つ年上なだけなのにとっても上手い!

 

ある日、兄に連れられワタクシのバンド「ペガサス」が練習している我が家に来てくれた事があった。

 

その時にちょこっとドラムを叩いてもらったら、ペガサスのメンバーが「あの人のドラム凄いやん!ドラムだけで曲になってるやん!!村中ちゃんもあんなドラム叩いてぇや!!頑張りぃやぁ!!」と。

 

(わかってるって。

そらコーゾーはんのお弟子さんやもん、上手いに決まってるわ。

俺なんかが何年練習しても追い付く訳ないやん)

 

口に出してしまうと、その勢いで「俺ドラム辞めるからペガサスも解散しよ」って言ってしまいそうだったので「そうやな」と満面の作り笑いでその場をしのいだ。

 

そして戸田さんと兄のバンド「スカイドリーム」の初ライブがバハマで行われて、最前列で孝三さんが見守る中、新田くんが凄いドラムプレイで輝く姿を、かなり後ろの方で見ながら「終わりかなぁと思ったらぁ泣けてきた~」とか思ったりしていたある日(←いつだよ^_^;)またもや衝撃のニュースが。

 

「ゴーストタウン閉めるんやって」

 

 

 

桑名正博さんのお母様のライブハウスで、スーパーフライングの慎三さんや、セリカさん(この頃は怖くて目を合わせた事すら無かった^_^;)も働いていたお気に入りの場所。

 

ゴーストタウンが営業最後の日、戸田さんと兄のスカイドリームも出演するし、スーパーフライングのメンバーも集まって懐かしい曲を演奏するという事なのでワタクシも観に行った。

 

ところが、その日のゴーストタウンにはドラムセットが無い(閉めるからすでに撤去していたのか…ドラムが無かった理由は忘れたが)…これではライブが出来ない!

 

スーパーフライングのボーヤをしていたザル(後のフライングのヴォーカリスト)やケチワラ(当時のザルのバンドのドラマー)含め、何人かでバハマまでドラムセットを借りに行く事になった。

 

入り時間から兄に付いて行って「あわよくばリハーサルから見せてもらおう」ともくろんでいたワタクシにも「一緒に行って」と言われて、バハマからゴーストタウンまで夕暮れのミナミの街をドラムかついで歩く事になった(いや、しんどかったよぉ^◇^;)

 

しかしこの行為が、この後の展開に大きく関わってくる。

 

 

続く☆